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嬬恋村の村上山

投稿者:おーちゃん

普通ならば朝五時はまだ眠い時間ですが、今日は山行の日、外に出るとまばゆい陽射しに冷たいくらいの風、山登りもってこいの日和です。高崎の最高気温は32℃の真夏日ですが、高崎駅から二時間、村上山の登山口は標高1400m、気温は平地より10度は低い高原の快適な散歩となりました。「舞鶴草の花芽が出かかっているよ」と写真家のHさん。「鶴舞う形の群馬県」民として次は咲いている姿に会いたいと思いました。カラマツの新録の中、足元には可憐なすみれ、鶯のBGMを聞きながら、あっという間に山頂です。北に大きく眺望が広がる山頂広場で、昼ご飯。食後に熱いコーヒーを淹れ、のんびりと昼休みです。キアゲハが2頭飛んできました。嬬恋村のキャベツ畑が見える場所で蝶に出会うのは稀だそうです。
さて本日の歴史のお題は「嬬恋」です。村の広報によると
明治22年、鎌原(天明噴火の溶岩流)・大前など8つの村が合併した時に、全く別の村名「嬬恋」が冠されました。大和政権東征軍の日本武尊が、上野・信濃の国境の鳥居峠で「あづまはや」=「吾が嬬、ああ」(“はや” は強い詠嘆を表す終助詞)と嘆いたことにちなみ、命名されたそうです。吾が妻とは、上総の木更津沖で荒れる海を鎮めるために身を挺した弟橘媛です。随分思い切った命名です。
Gemini君、GPT君に尋ねると、「あずまはや」は古事記でただ一か所登場。場所は箱根の足柄峠。日本武尊が、東国を三回見回して「あずまはや」と妻を偲び嘆いたそうです。そして「吾妻恋し」は日本書紀にただ1か所、場所は碓氷坂。日本武尊が東南の方角を三度眺めて、「吾妻、恋し」と嘆いたそうです。吾妻郡という行政上の地名は奈良時代の「木簡」に登場しており、碓氷峠は今の碓氷峠ではなく鳥居峠に比定すべきという説が有力になります。諸説ありますが、ともあれ嬬恋は今や「愛妻家の聖地」だそうです(伊勢崎Kさん談)。 了


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