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神津牧場の馬頭尊と渋沢栄一

投稿者:おーちゃん

物見山から八風山に向かう稜線の下りは、如何にも登山道という雰囲気の道でした。ところが峠の匂いがする平坦地で折れて、神津牧場に戻る路は勾配を一定に保つように沢を迂回し、おまけに馬頭尊まであって旧い街道の様でした。こんな山中に馬頭尊なんてと思い、写真にも納めず、牧場のソフトクリームに急いだのが今は悔やまれます。
どうやら、私たちが歩いた峠道は、渋沢栄一が「上州から信州に越えるには峠が幾つもあったよ。九つかあった。その主なものが碓氷峠、その南に香坂峠、志賀峠、内山峠、戸沢峠と順に南の方にあった」と語っていた香坂峠に相当するようです。出典:「雨夜譚会談話筆記」https://eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo/digital/main/viewer.php
また、内山峠の信州側の谷である内山峡を詠んだ彼の漢詩には、大河ドラマの題名の「青天を衝け」の字句があります。栄一は目的地ごとに適切な峠を選んだと思われます。
上記の「談話筆記」で栄一が大雪に遭難しかけた香坂峠道について、詳細な調査推理をされた「マップルトラベルガイド」誌に敬意を表しながら以下ご紹介します。
栄一は真冬、信州側の集落「香坂」に向かったと語っています。「香坂」に向かう峠道は、大正4年の5万図では物見山~八風山の間に2か所あり、一つは私たちが通った神津牧場からの道、もう一つは姫街道の初鳥屋宿から高立を通ってきた道です。地形図を見ると、高立からの上りは等高線が混んでいて、神津牧場からの道が緩やかで旅には向いているように見え、「山と高原地図/西上州」には神津牧場からの道の方に香坂峠と記しています。まさに私たちが歩いた道でした。
また志賀峠は神津牧場から志賀集落に向かう道で、上記の5万図に志賀越えと記されており、冒頭の「馬頭尊」は志賀道と香坂道の分岐点だったと思われます。往時の旅程を現地確認できた絶好の機会を逸したことを悔やんでおります。https://www.mapple.net/articles/original/6920/?pg=1 


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